騒音対策というのは、ちょっと厳しい言い方になりますが、「モグラ叩き」のようなものだ、と思うのです。騒音問題が起こると、それになんらかのかたちで対処するのが騒音対策の基本です。もちろん、経験上あらかじめ問題となることが予見されることがありますから、それには事前に対処がなされます。そのような騒音は、交通騒音、建設騒音、工場・事業場騒音です。実際、これらの騒音の多くには環境基準が設定されています。
上記3カテゴリの騒音にだけ環境基準が設定されている理由には、騒音の定義が関係しています。騒音は「望ましくない音」と定義されます。この定義によると、何が騒音かは先験的には決まりません。文化・時代によって音が騒音として問題化される事情が異なるからです。だから、その社会であらかじめ騒音とみなせる音についてだけ測定方法と評価方法を決めることができて、環境基準が設定できるのです。このときから音響工学・騒音制御工学の出番がきます。
言い換えると、それ以外の圧倒的大多数の音については、音響学は事前に対応できません。音環境の把握とかデザインの観点から言うなら、騒音対策は問題が起こってから出動する消防車のようなもので、だから「モグラ叩き」というのです。
それでいいのでしょうか? いつまでも「モグラ叩き」をし続けて……。よくないとしたら、どうするとよいのでしょうか。これについて、われわれはある空間・地域の音環境をトータルに捉えてデザインする中で騒音防止策も講じていくべきだ、と考えます。けれども、ある空間の音環境を理解し、把握し、デザインしようとするとき、音響学だけでは不十分です。なぜなら、環境を把握したり、デザインしたりするとき、それなりの哲学が必要だからです。音響工学は個々の騒音問題の解決についてさまざまなハウツーを提供しますが、ある空間の音の環境をトータルに捉える哲学は、音響学からは出てきません。
「音環境」というとき、音とはなにか、環境をどう理解するのかを問わなければなりません。音については、空気中の圧力変動ととらえるだけではなく、それによって生じた聴覚としてとらえる(JISの定義)ことが重要です。音環境は、個人あるいは社会によってとらえ方が異なるわけで、それを積極的に視座において音の環境を考えるのです。
また、環境をどう理解するかも問われます。「環境」とは単に主体の周囲にある事物ではなく、主体と相互に関係をもつ存在ととらえることによって音環境を有機的に、また多角的に捉える事ができます。つまり音を聴く者の周囲のモノではなく、出来事=コトとみなします。そして、われわれの周りの特定の音(たとえば音楽の音とか騒音とか)だけに注目するのではなく、社会のあらゆる音を考察の対象にします。単にその空間の音を集めてきたとしても、聴く者と音との関係を考えないでは音環境にはなりません。
こういう視座を基礎にして、音や聴覚を通して環境をとらえたい、それをデザインしたい、と考えて、「音環境」という言葉をつかい、その研究を音環境学と呼んでいるのです。